2009/12/06(日曜日) 鳥栖市 装飾古墳一般公開

届いたメッセージ
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50933571.html
公開場所が佐賀なので、ワシントンさんのご当地ネタではないかと思ったんですが、
こっち方面への ご興味は…やっぱり ございませんですかね…(^^; by一魁斎

何を隠そうこのワシントン、先日のレポにも書いたとおり田んぼをほじくっちゃ土器片集めたり
古墳の石室でゴロゴロしたりする小学生ライフを送っていたくらいなので興味が無いはずもなくw
一般公開される古墳の周囲は他にも多数の古墳があるのでそれもついでに回って来たのでした
一魁斎さん、情報ありがとうございました m(_ _)m
おまけにこの日は「がばい武雄の物産まつり」とタイアップした14系寝台を使った臨時列車
『あかつき』 も運転されるので撮っておきたい! というわけでかなり早い時間からスタート


公開される装飾古墳はヒャーガンサン古墳田代太田古墳の2ヶ所
まずはヒャーガンサン古墳(6世紀後半)から

内部は照明もあって撮りやすい
けど絵の部分は思ったほど鮮明じゃなく1400年という時間の流れを感じさせる
天寿国繍帳の復元とか金閣寺天井画の復元とかNHKは復元もの好きだから
次は最新技術の成果をもって装飾古墳の壁画の復元にもトライしてほしいものだ

ヒャーガンサン古墳、解説にもある通り元々は現在地より七百メートルほど
東の方で発見されたのだが、道路建設のアレで今の位置に移設されている
下の航空写真の”ヒャーガンサン古墳”と書いてある所が元々あった場所
”柚比梅坂遺跡”と書かれている所が現在公園となっているこの場所である



ヒャーガンサン古墳の墳丘からの眺め
左側の森が剣塚古墳と赤坂古墳、右側の森が平原古墳(推定)

なんでもここらはローソクが灯かりの主流だった江戸期以前、ローソクの主原料であった
ハゼの栽培・製造で長者となったマツダ一族の土地だったとかなんとか(違ったらごめん)




続いて田代太田古墳(6世紀中頃〜後半)

民家の敷地内にあり、ふだんはあの説明板の所にすら近づくことができない


ワシントンさん含め5人が一緒に入ったが、観察窓が狭くて先に入った3人はじっくり
観られるけど、後で入った2人は前3人がどくまで遠くから眺めるしかできない ('A`)
なのでじっくり観たい・撮りたい場合は人が居なくなるのを待って入った方がいいだろう

板状の石はなんとか片岩といい近所の城山(権現山だったかもしれん)で取れるらしい
それ以外は安山岩であり、この辺じゃどこででも取れるそうで産地の特定は難しいとか

さて肝心の装飾のある壁面なのだが…
待ってる間にレンズが曇ってて(中はけっこう湿度が高い)暗い中でレンズ拭くことになったりw
手前のガラスのせいかAFが合焦しなくてマニュアルで合わせたりww撮影は意外と大変だった

写真その1

写真その1の中央部を拡大+コントラストあげ

写真その2

写真その2の中央部を拡大+コントラストあげ


説明パネルの奥壁壁画復元模写があまりに鮮明なのでそれとのギャップに少々とまどう
右上あたりは割りと残ってるけど中央部分はもうかなりわかりにくくなってる




ここからは一般公開とは関係ない近所の古墳たち
まずはヒャーガンサン古墳の 400m 北東の梅坂古墳(推定)
近くに寄れなかったのでこれなのかどうかよくわからない
ヒャーガンサン古墳の東北東 250m、梅坂古墳群
遺跡ウォーカーにマークされてるあたりだが完全に宅地化状態
この近所には他にも永田古墳群大平古墳群、ちょい離れて神山古墳群などもあったんだけど時間の都合で回りきれず
まぁ航空写真で見るとこれ全部森みたいな感じなので行くほどのこともないかもしれない




平原古墳(推定) ※ ヒャーガンサン古墳の墳丘から見えたアレの右側の森
古墳であることはまず間違いないが丘上に神社があるため発掘調査ができないとのこと
※ ごめん愛古山古墳やった 平原古墳はもうちょっと東棚w

参道のある反対側はけっこうな傾斜だ  意外と高さもある


赤坂古墳(3世紀後半!) ※ ヒャーガンサン古墳の墳丘から見えたアレの左側の森

墳丘はこの場所からはこの程度しか確認できない


ヒャーガンサン古墳方面の眺め  下はほんごう大池

説明板の前・赤坂公民館裏のホコラ  いつの時代に作られたものか…



剣塚古墳(6世紀前半) 赤坂古墳の隣 100m

木の根っこが石室を破壊したりしないのだろうか?


墳丘上の石碑


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